ココロとナミダの相関関係
218年9月19日。亡くなった父の誕生日に母が脳梗塞で倒れました。
生死の境をさまよい、もう口から食事をすることも難しいとも言われました。右半身には麻痺と慢性的な痛みが残って車いす生活に。失語という後遺症もあって、思うように言葉が出てきません。
それでも、母は左手を使って上手に口から食事もできるようになりましたし、不自由な言葉を一生懸命に使おうとします。母本人としては、目が覚めたら今までできていたことが一切できなくなっていたわけですし、身体も言葉も思うようにならないことに、もどかしいばかりのはずですが、泣いたり笑ったりしながら母は元気にしてくれています。
自分の置かれた状況を母は嘆いたり投げやりになったりすることはありませんでしたが、たった1度だけ、「こんなはずじゃなかった」と言って涙したことがありました。その言葉が忘れられず、そのまま歌詞になっています。
それでも母は、「ありがとう」を忘れない。発語は不自由ながらも「ありがとう」を言ってくれます。それはいつでもどんなときでもです。母のお世話をしてくださる人達にも、母を好きでいてくれる人たちや、もちろん家族にも。
そんな今の母を歌にしたくて、この曲ができました。
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